算数ができないまま社会人になった結果【仕事への影響】

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小学生のとき、分数の四則計算のテストで0点をとった。0点なのに「とる」というのもおかしい気がするがとにかく0点だった。

なぜそのような情けないことになったのかと振り返ると、「分母を揃える」などといった分数の計算方法がどうしても理解できず、さらに記憶もできず、そのくせ記憶しなければいけないとも思っていなかったためであった。

どうやら周囲にそんな状態の子どもはいないようだった。算数において明らかに自分は人と違うのだと、初めて認識した瞬間だった。

ちなみに「分母を揃える」と書いたが、それもこのiPhoneを使って「分数 計算 方法」で調べたのだ。つまり、今テストを受けても0点だということになる。

その後、授業で数学が必修であった高校2年生まで、地獄の「数学理解不能タイム」が続くことになる。

 

 

算数が理解できない学生時代

週に2〜3時間、何も理解できない時間を過ごすのはなかなか辛く、虚しいものだった。

理解しようと努めてはいるが、教師の話す言葉が脳で処理できない。いつも一緒にいるクラスメイトと、いつも過ごしている教室にいるはずなのにまるで言葉の通じない異国にワープしてきたかのような感覚。まさに「何が分からないのかが分からない」状態で、どうやって質問したら自分が理解できるようになるのかが分からなかった。

算数が理解できない者は当然化学もできない。地獄の時間が増える。中学の「電流と電圧」という単元は授業中叫びだしそうになるくらい分からなかった。オームの法則などと呼ばれるあれである。自分から頼んだのか理科の教師から「やばいよ」と言ってもらったのかは忘れてしまったが、授業が始まる前の早朝にマンツーマンで教えてもらったこともあった。

高校の化学の授業で教師に当てられたときはわたしが余程不安な顔をしていたのだろう、「分かりません」と申告するより前に教師は赤子に話しかけるかのごとき口調で答えを教えてくれたのだった。教師はおじさんであったがその聖母感は授業が終わった後に友達がざわついていたほどだった。きっと長い教師人生の経験で「こいつは乳児レベルだ」と直感したのだと思う。

だが、算数は何も分からない状態でも、他の生徒に迷惑をかけることは無い点は幸いであった。絶望的な運動音痴のため、チーム競技で役立たずの厄介者のみそっかすとなる体育の授業は針のむしろで辛かった。もしも算数が団体戦だったら不登校になっていたと思う。

 

\地獄の体育の思い出/

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そんな高校時代を過ごし、大学受験を迎えた。こんな乳児レベルで数学や理科が必要な国公立大学を受ける気はひとかけらもなかった。私立であれば国英社の3科目で受験できる。国語は大好きだし日本史も好きだ。英語はそれほど好きではないが苦でもない。数学が無ければ予備校に通う必要も無い。

そして入学した大学では数学とは縁もゆかりもない日々を送ることができた。しかし、文学部でぱやぱやと過ごしていたところに就活という試練が訪れる。

 

算数が出来ないと就活でつまづく

企業に入社するためには、SPIとかWebテストと呼ばれる筆記試験を受けなくてはならず、算数の問題も出るのだった。

問題集を買ってみたところ当然ながら何も分からない。当時の彼氏に確率だとか損益算だとかを教えてもらってはいたが、今日は理解できたかもしれないと思っても実際のテストで時間内に解くことが難しい。

結果、ことごとく選考から落ち(落ちたのはSPIのためだけではないが)、訳の分からない会社に入社することになったのだった。

訳の分からない会社には訳の分からない社員ばかりだったので、数年後転職を志した。

転職でもSPIなどの試験を課される場合もあるが、わたしは書類選考と面接のみの企業を受けたので、訳の分かる会社に中途入社できたのだった。社会よ、救済してくれてありがとうと思った。

 

致命的に算数ができない女が社会人になるとどうなるか

事務系の総合職として働いているが、基本的に仕事に支障は無い。電卓を使ったとしても誰も怒らないし、Excelは算数が分からなくても関数を知ればなんだってできる。通常業務に差し障りは無い。職種が経理だったら仕事にならないかもしれないが、当然経理は就職時の選択肢には入れられない。

ちょっとした虚無感をおぼえるのは、何かのやり取りの中で暗算が必要だった場面だ。数値の予測などで上司が「えーと5000の80%の、云々」などと言っているとき、わたしも一緒に考えているような顔を作っているが本当は暗算など出来ないので何も考えていない。少しばかりの罪悪感をおぼえつつ、上司の計算タイムの完了を待つ。「暗算もできる普通の能力の社員ですよ」という体で業務にあたっているが実はとんでもないポンコツなのだ。

ポンコツでもこうやって働いて給料をもらうことはできる。そう思うと社会ってそんなに悪いものじゃないなと思うのだった。