【体育の授業の嫌な思い出】ドッヂボール編

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わたしはとてつもない運動音痴で、学生時代の体育の授業を思い返してみると50m走の記録はよくて10秒、バレーボールのサーブはただの1度も成功した事がなく、跳び箱は3段までしか飛べなかった。

決して手を抜いているわけではない。

どちらかというと真面目なタイプなので、一生懸命やっているつもりだけど、どうしたって早く走れないしサーブは入らないのだった。

 

思えば小学3年生くらいから辛い記憶が多い。

一番はドッヂボールだ。

物凄く硬いボールを使って、男女混合で頻繁に試合が行われた。

授業なので拒否することはできない。

今思い出しても泣きそうなのだが、まずボールが当たるとすごく痛い。だから必死に逃げる。

外野にいるのは運動ができて身体もでかいパワータイプで、信じられないスピードでボールをぶん投げて来る。

こんなに力があるなんて、同じ年なのにどうしてこうも違うのか。

当然痛い思いはしたくないので息も絶え絶えで逃げ切ることも多かったけど、たまにヘマをしてボールがぶつかることもある。

顔面に思いっきり当たった時は余りの痛さに1人で隠れて泣いた。

 

本当に疑問なのだがあんなに硬いボールでドッヂボールを行う意味はあるのだろうか。

身体をうまく動かせない人間にとっては危険だと思う。柔らかいボールではだめなのか。

そもそも個人的に野蛮さしか感じないのだがドッヂボールは何のためにやるんだろう。

誰も教えてくれなかった。小学生は無力だと思う。

 

ドッヂボール以外にも、諸々の嫌な記憶が未だに残っている。

運動会等でクラス対抗の全員リレーが行われると本当に辛かった。

足が遅い者はそうでない者に邪魔者扱いされるからだ。

心無い言葉をかけられることが多々あった。

彼らからすれば紛れもなく邪魔者なのだが、例えば国語の音読でつっかえてしまう、分数の足し算ができないからと言って他人にののしられることは無いのに、チーム競技のある体育だとそれが横行する。

体育が苦手な者にとっては小学生時代はまさに地獄と言える。

 

中学生になると、体育の授業は男女別に別れ、さすがに面と向かって罵倒する女子はいなかったので気持ち的にはだいぶ楽になったが、評価の問題が発生した。

記憶が定かではないが、中学3年生の時の全教科の評価の平均が内申点となり、内申点によって受験できる高校が決まっていたような気がする。

体育、数学の評価が5段階評価で2だったので全体の足を引っ張った。

数学については何も言えないが、体育が2なのは納得出来なかった。

2って、真面目に授業を受けてない人間に対しての評価ではないのかと思う。

休まず出席し真面目に取り組んでいるのに、運動音痴だから2。

体育教師はわたしの身体に憑依して授業を受けてみてほしい。

 

高校では、水泳の授業で平泳ぎができなくて、男の体育教師に陸上で平泳ぎのフォームの練習をさせられた。

今だったら完全に拒否かつ通報だが、10代の純粋な女子の頭にはそんなことは浮かばなかった。

 

これらの記憶を持ったまま成長し、体育=運動=辛いという図式が自分の中にできたため、現在も身体を動かしたいという欲求が皆無で、できる限り横になって過ごしたい。

体育の授業は運動することの楽しさを教える意味もあるのだろうと思うが、わたしはそれを学ぶことができなかった。

 

今は足が遅いからと言って揶揄されることも無く、団体競技で針のむしろになることも無い。

頑張っても邪魔者扱いされるあの惨めさは、今までの人生でも他に無かった。つくづく大人になってよかったと思う。

わたしが執念深いタイプというのもあるが、30歳にもなって未だに嫌な記憶がこびり付いていて、そろそろ忘れたい。